記録によれば,原審相手方池田周作は昭和23年ころから昭和50年ころまで家業の染色業の現場作業を手伝い,被相続人らから生活の面倒をみてもらっていたが,昭和36年に結婚するまでは小遣銭程度しか貰っておらず,結婚後は他の職人が月給10万円のときに月給2万円を貰い,昭和40年に第2子が生まれてから月給3万円を貰っていたにすぎなかったこと,同藤井克子は中学校を卒業した昭和24年ころから昭和40年に結婚するまで家業の仕事,特に会計を担当し,被相続人らから生活の面倒をみてもらっていたが,その対価として小遣銭程度しか貰っていなかったこと及び右の時期に被相続人池田忠和の事業が拡大し,被相続人らの不動産が増加したことが認められる。
被相続人の財産形成に相続人が寄与したことが遺産分割にあたって評価されるのは,寄与の程度が相当に高度な場合でなければならないから,被相続人の事業に関して労務を提供した場合,提供した労務にある程度見合った賃金や報酬等の対価が支払われたときは,寄与分と認めることはできないが,支払われた賃金や報酬等が提供した労務の対価として到底十分でないときは,報いられていない残余の部分については寄与分と認められる余地があると解される。また,寄与分が共同相続人間の実質的な衡平を図るための相続分の修正要素であることに照らせば,共同相続人のうちに家業に従事していなかった者と家業に貢献していた者がいる場合にこれを遺産分割に反映させる必要性があるというべきである。
そこで,これを本件について検討すると,上記認定事実によれば原審相手方池田周作については昭和23年から結婚する昭和36年まで,同藤井克子については昭和24年から昭和40年まで,それぞれ家業に従事して被相続人らの資産の増加に貢献したが,被相続人らから小遣銭程度を貰っていたにすぎないのであるから,上記期間の労務の提供については被相続人らの財産について寄与分があると認めるのが相当である。